完璧主義
好きな飲み物はコーヒーとビール、嫌いな飲み物は牛乳とおっさんが口につけた液体全般。
こんばんは。ウルトラのヨシです。
今の季節、あったかいコーヒーが体にしみますね。
熱燗も楽しみたいところですが、温まるからと言って沢山飲むと翌朝ツケが帰って来ますから、注意したいところ。
つ(好きな日本酒リスト)
ここからが日記
7個。
これ、なんの数字かわかりますか?
5月にNintendo Switchを購入してから追加で買ったコントローラーの数です。
7個買っていますから、6個は壊している計算になります。
また、ジョイコンという本体付属のコントローラーもギリ使えるくらいには壊れてしまっていますので、笑うしかないです(笑えない)。
安いものを買っていたとて、三千円だとしても7個で二万円は超えます。
バカにならない出費をなぜ繰り返してしまうのでしょうか。
それは、
ムカつくんですよね。
例えば、、、
①「スプラトゥーンで相手に倒された!」
→「なんでこんなゲームもできないんだ」
→壁に向かってコントローラーを投げる(おかしい)
→コントローラーが壊れる(知ってた)
②「ポケモンのランクバトルで連敗した!」
→「勝てない奴は死んだ方がいい」
→冷蔵庫に向かってコントローラーを投げる(おかしい)
→コントローラーが壊れる
うつ病になる人の多くは「完璧主義」の人が多いらしいです。
これはうつ病のことを調べていて出てきたことで、僕もその傾向にあると思います。
基本的に「〇〇に該当しない人は賞賛に値しない」「〇〇な人にはなりたくない」と思って生きていますから。
さっきのゲームに当てはめると、「スプラトゥーンでは0デスが当たり前、相手にカウントを進ませずに勝ちたい」など、出来っこない目標が基本になっていたり、「ポケモンやってるならマスターランクにいかないといけない」と言った、脅迫じみたものになったりしています。
ゲーム以外でも、1ヶ月くらい前に自分が貼ったポスターが何日か後になって傾いていることに気が付いた時は半日くらい泣いていましたし、洗濯物を誤って床に落としてしまったときは洗濯機の前で四時間くらいしゃがんだ姿勢から動けませんでした。
「できないことが悔しい」とも、「事象を引き起こしてしまった自分や環境に腹を立てている」とも違う、なんとも言えない感情。「もうこんなことに直面しなくてもいいように消えてなくなりたい」が近いでしょうか。
自分の語彙力が足りないことは素直に悔しいです。
通常の人に比べて完璧主義の人は生産性が低いというデータもあるようです。自分で定めた強迫観念の条件を満たしていないと、次に進めない。
「これじゃないと嫌だ」という、子供のようなわがままにも聞こえます。
「完璧主義」。聞こえはいいですが結局のところ、達成できない目標を立てて、達成できなかったら落ち込む。
ネガティブの自作自演でしかない。
そうなってくると、救いようはありません。
そしてこの問題が根強いのは、自分でわかっていても考え方を改めるのが難しいところにあります。
自分自身、この考え方は非合理的で効率も良くない、高カロリーな思考だと思います。
理解はしている。納得もしている。
でも、100点と99点は決定的に違うし、100点と99点だったら100点を取りたいに決まっている。
そう思わずにはいられない。
僕がやるべきことは、比較をやめて99点を少しでも受け入れること。
そして、少しずつ許容できる範囲を広く持つこと。
少なくとも、これができるようになれば、大きな一歩であると思います。
とりあえずこの考え方が治るまでは、なるべくゲームから離れた生活を送りたいと思っています。
やめるとは言いませんが、なるべく離れたい。
誘惑になりそうなものは全て断ち切ったので、あとは自分との勝負。
リハビリだと思って頑張ります。
「完璧主義を完璧に捨てる」というこの目標設定。
「完璧に遮断する」とか、この辺り。
完璧主義は根強かったり、するのかもしれません。